ある骨董屋でのおはなし
夜中、ある骨董屋で。
『この店に来て一週間くらいですね。もう慣れました?』
『ええ、少しは・・・』
『ところで、あなたの歳をきいていい?』
『私? 私は百三十歳くらいじゃないかしら』
『はー、見えませんね。傷も少なくきれいだし、もっとお若いかと思ってました』
『いえいえ』
『でも、若く見えるのは、よほど大切にされてたんでしょう』
『ええ、大事にされてきたと思います。私の最初の持ち主は若い夫婦でした。夫婦の友人の職人が結婚のお祝いに私を作り夫婦に贈ったんです。二人は上で作業するときも、動かすときも丁寧に扱ってくれました。でもね、その後、ちょっとしたことがありましてね・・・』
『えっ、なんです?』
『夫婦が結婚して5年目、ようやく待望の赤ちゃんが生まれたんです。そのお嬢さんは元気に育ち、六歳になったころ、文字に興味を持ち始めたんですね。夫婦は紙と筆を与えて、いつでも私の上で書けるようにしたんです。お嬢さんは「しの」という名前で、その「しの」という文字を最初に覚えたんですよ。しのちゃんは筆で何度も自分の名前を書いてました。でも、ある日、筆じゃなくてとがったもので私をけずったんです。「しの」ってね』
『あら、そんなことがあったんですか』
『ほとんど傷がなかった私に、くっきり「しの」っていう傷ができたんです』
『ここからだと見えないけど・・・しのさんはしかられた?』
『しかられると思ったんだけど、母親はそれを見て、驚いて、それからあきれて笑いだしたんです。あとで、もうこんなことしてはいけませんよってさとされてましたけどね』
『なんだか微笑ましい話ですね』
『そうなんです。それからは、しのちゃんも私を丁寧に扱ってくれて、嫁入りのときも連れて行ってくれたんです。ところで、あなたの話も聞かせてくださいよ』
『私、最初の持ち主にはあまり気に入られてなかったようで、形が変とか、使いにくいとかよく文句を言ってました』
『へえ、きつい』
『そのせいか、引き出しの開け閉めも荒っぽくて、しょっちゅう私『きき』っと悲鳴をあげてました。傷もこのとおり、たくさんあるでしょ』
『かわいそうに』
『でも、次の持ち主はよかったんです。最初の持ち主の妹さんで、お姉さんが私を捨てるって言った時、驚いてひきとってくれたんです』
『それはよかったですね』
『ええ。妹さんはお姉さんとずいぶん違って、とてもやさしく私を扱ってくれました。古い傷は消えないけど、新しい傷はあまりつかなくなったんです。それに、私に愛着をもってくださってるのが、なんとなくわかったんです』
『それが何よりです』
『ごめんなさい。あなた方のお話、聞かせてもらいました』
『そう? いいですよ』
『どちらもとてもいいお話しだったんで、ついつい聞き入ってしまいました』
『差し支えなければ、あなたの身の上話も聞かせてくださいよ』
『私ですか? 私の話なんか聞いたら、気持ちが沈みますよ』
『そう言われると、余計に聞きたくなるもんです。もし話す気があれば、ぜひ・・・』
『気が滅入ったらごめんなさいね。私はある有名な彫刻師に作られたんです。今から百五十年ほど前だと思います。裕福な商人の家に息子が生まれたとき、お祝いに贈られたんです』
『それで、小さい子が気に入るようなかわいい姿をされてるんですね』
『そのぼっちゃんが戌(いぬ)年だったんです』
『なるほど』
『ところが、ぼっちゃんがまだ立って歩けるようになる前に、その商人の家に泥棒が入りましてね、なぜか着物や壷などといっしょに私も盗まれてしまったんです。そりゃあ私は偉い先生に作っていただきましたが、泥棒はそんなこと知ってたかどうか・・・。泥棒は持てるだけの物を盗むと、いそいで逃げました。ところが、逃げる途中で私を落としたんです。川の近くだったんですが、ころがって私は川に落ちました。そのままぷかぷかとしばらく流されました。あるところまで来ると川は浅くなっていて、そこで子どもが遊んでたんです。その子は私を見つけると拾い上げ、家に持って帰りました。それから何週間かはその子のおもちゃとして使われました。その時はまだよかったんです。それからそこの家族が引っ越すことになって、私も荷物の中に入れられました。新しい家に着くと、私は箱の中に入ったまま、押入れの奥に入れられました。それから、ほんとに長い間、そこで過ごしたのです』
『気の毒に・・・』
『最初のころは、子どもが私のことを探しているようでした。母親に何度かきいてる声が聞こえてましたから。でもそのうち忘れてしまったようです。次に私が箱から出たときは、家の主人が変わってました。私を拾った子どもの孫だったのです。しかも、もうおじいさんでした。なんと長い月日が流れたことかとがく然としました。孫は押入れの奥で忘れられていた箱を見つけると、外に出し、開けました。そして私を見つけるとしばらく手にとって眺めていました。それから布で拭き袋に入れ、この店にもってきたのです。なんか寂しい話でしょ?』
『運が悪かったんですね。泥棒に盗まれさえしなければ、そんな暗い所に長くいることはなかったかもしれないのに・・・』
『まあ、これが私の運命です』
次の日の朝。
店に一人の女性が入ってきた。女性はひと通り店の商品を眺めたあと、木彫りの犬に近づき、手に取った。そして、じっくり見てから言った。
「これおいくらですか?」
「五千円です」
と店の主人がこたえた。
「じゃあ、これください」
女性は財布を取り出した。
「お客さん、これはかなりいいものですよ。腕のいい職人が作っている」
「そう思います。かわいいし、気に入りました」
『よかったじゃないですか』
『この人なら大事にしてくれそうですね』
『そうだといいですが・・・』
『さようなら、お元気で』
『お幸せに』
『ありがとうございます』
木彫りの犬は紙袋に入れられ、女性に渡された。