切り絵

「キクちゃん、引っ越すんやって」
おかあさんが言うのを聞いて、タカトはおどろいた。キクちゃんはかならずとなりに住んでいて、タカトにとっての主要登場人物だから、引っ越していくなんて、考えたこともなかったし、引っ越すと聞かされても、そんなことがありえるとは思えなかった。
「えっ」
そう言ったきり、だまっているタカトの様子を見て、
「ちょっとショック?」
とお母さんが聞く。
「うーん、ショックっちゅーか、えー、なんか信じられへん」
「そやね、赤ちゃん時からずーっといっしょやったしね」
「いつ引っ越すん?」
「今月の終わりやったと思うわ」
タカトはカレンダーを見る。あと、3週間ほどだ。

「キクちゃん、どこ引っ越すん?」
次の日の朝、学校へ行く途中、タカトはキクに聞いた。
「神戸」
「ふーん、ちょっと遠いな」
「でも、電車で1時間くらいやで、多分」
「なんで引っ越すん?」
「お父さんの仕事の関係」
「ふーん」
「でも、多分、いつか帰ってくると思うけど」
「ほんま?」
「うん、多分」

日曜日、朝ごはんを食べながら、タカトのお母さんが言った。
「ねえ、キクちゃんになんかあげへんの?記念になるもんかなんか」
「えっ、記念になるもん?」
タカトは、ふいに思いもよらなかったことを言われ、考えはじめた。
「なんか作ってあげたら?」
「えっ、作る?」
ますます、何をあげればいいか、思いつかない。
しばらくして、
「切り絵は?」
と、お父さんが言った。
「切り絵?」
タカトは声がうらがえった。
「ほら、よう作ってやったやろ、おまえに」
タカトは、お父さんが作った額に飾ってある機関車の切り絵を思いうかべた。
「えー、あんなん作れへん」
「かんたんなやつにしたらええねん」
「えー……」
「まあ、まだちょっと時間あるし、考えたら?」
おかあさんが提案した。
「うん、考えるわ」
そう言ったけど、タカトはいい考えがうかぶ気がしなかった。

何を作ればいいか思いつかないし、だんだんめんどくさくなってきてタカトはそのまま何日かすごした。
キクちゃんとも、いつもとかわりなくしゃべったりした。

「引越しまで、あと1週間やね」
お母さんが言うのを聞いて、タカトはちょっとあせった。やっぱり切り絵にしよか。そんなふうに思うようになった。

学校から帰ると、机に向かい、じーっと考えた。まず、何色の画用紙にしよかな。たしか、キクちゃんは緑が好きやったな。タカトは緑の画用紙とはさみを机の上に置き、また考えた。
何にしよ?そや、犬にしよ。キクちゃん犬好きやった。
タカトははさみをもつと、いきおいよく画用紙を切り始めた。たしかお父さんがこんなふうに切っていた。頭に思い浮かべた犬のようになるはず。
なんやこれ?
出来上がった切り絵を見て、タカトはがっくりきた。
なんか、へんや、へんすぎる。
もう一度、挑戦することにした。緑の画用紙に、今度はゆっくりはさみを入れる。さっきより、ていねいに切っていく。
なんやこれ?
へたくそやな。
タカトはいやになってきた。

また明日やろ。

次の日、タカトは学校から帰るとさっそく切り絵にとりかかった。
もう、緑の画用紙ないし……赤にしょ。
タカトは昨日よりもっとていねいに、赤い画用紙を切り始めた。
昨日よりましやな。
でも、なんか犬に見えへんな。
タカトはもう一度、赤い画用紙を切り、それも気に入らなくて、
ピンクの画用紙を切り始めた。
なんでへたなんかな?
ピンクの切り絵をほりなげて、タカトははさみを置いた。

あと三日で、キクちゃんは引っ越してしまうという日、学校へ行きながら話をした。
「引越しって大変やわ」
「なんで?」
「もう家の中めちゃくちゃやもん、ダンボールだらけやし」
「へえー」
「私のだけで、10個以上あるし」
「そんなあんの?」
そんな話をしてても、タカトはキクちゃんが行ってしまうということがあまり想像できない。

きり絵はまだできてない。
「うすく、鉛筆で下書きしたら?」
タカトは、おかあさんに言われ、そうしたらうまくいきそうな気がした。犬の写真を見ながら、タカトは何枚か犬の絵をかいた。
これでええかな?
水色の画用紙にかいた絵をながめながら、まよった。
よし、決めた! あとは切るだけや。
今度は、まあまあうまくいった。

これでええかな?
そや、額に入れたほうがええわ。
タカトはおとうさんに、機関車の切り絵を別のところに入れていいか聞いた。おとうさんは、ええよ、と言ってくれた。
「上手にできたやん」
おとうさんも、おかあさんもほめてくれた。
あとは、引越しの日、渡すだけや。

キクちゃんが引っ越す日がきた。
朝早くわたそうと、タカトが家を出ると、キクちゃんも外にいた。
「キクちゃん、これ記念に作ってん」
タカトはキクちゃんに額に入った切り絵をわたした。
「ありがとう……これ何? 羊?」
「えっ? 犬やねんけど」
「えっ? ああ、ほんまや、犬やわ。ありがとう。
これ、新しい家に飾るわ」
新しい家。
この言葉を聞いたとき、タカトはようやくキクちゃんがほんとに行ってしまうんだと思った。
「また、京都に帰ってくるわ」
「うん」

それから間もなく、大きなトラックがやってきて
荷物を運んでいった。
そして、キクちゃんはほんとうに行ってしまった。
切り絵をあげてよかった、タカトはそう思った。