カシの木の上で

あかねの家の近くに大きなカシの木がある。
あかねはこのカシの木がとても好きだ。
葉っぱが風に吹かれるときのざわざわという音が耳に心地いい。
下から見上げると、すきまからもれる光がきれい。
時々、あかねはカシの太い幹にさわり、耳をすまし、確かめる。
生きている。木の息づかいが聞こえる気さえする。
友だちに見られたら笑われるかもしれないなと思う。
でもあかねはたまにそうやってみたくなるのだった。

ある晴れた日、あかねはカシの木に近づき上を見上げた。
葉っぱの間からもれる太陽の光がちらちらしているのが見える。
「このカシが好きなの?」
突然声がした。あかねが驚いて振り向くと、つえをついたおばあさんがいた。
「うん」 あかねは答えた。
「この木はすごいよ。千年以上も生きているんだからね」

「そうなの?」あかねは初めて知った。
「そうよ。千年以上もここで世の中を見てきているのよ」
あかねはあらためてカシの木を見た。
「どうしてそんなに生きられるんだろう?」
あかねがひとり言のように言うと
「木の神様が守っていらっしゃるのよ」とおばあさんが言った。
「木の神様?」
「そう。私はそう信じているよ」

「木の神様ってどんな姿なの?」
「残念ながら私も見たことはないよ」
そう言っておばあさんはカシの木を見上げた。
あかねはカシの木に住んでいる神様を想像しようとした。
でもどんな姿なのか想像することはできなかった。

ある日、あかねがカシの木にもたれてひと休みしているとかさかさと上の方で音がした。
びっくりしてカシの木からとびのき上を見た。枝のところに何かいる。
リスのようだ。あかねは本物のリスなんて見たことがなかったのでなんてかわいいんだろうと思った。
もうちょっとよく見たいからカシの木に近づいた。

リスをじっと見ているとリスもこちらをじっと見ている。
あかねは、なんか妙な感じがした。
あんなに人間を見つめるなんて、動物らしくないな。
そう思ったとき、リスが手まねきした。
えっ?あかねは目を見開いた。するとまた手まねきをする。
気のせいよ。手をああやって動かしてるだけよ。
そう思おうとした。

ところが今度こそ気のせいとは言えなかった。
「こっちにおいで」リスがそう言ったのだ。
あかねはもう驚いて、これはいたずらではないかと思った。
でも、「早くおいでよ」
とまたリスが言うので、「おいでって、どこへ ?」と聞いてみた。
「上へ登ってこっちへだよ」
あかねはちょっとだけ迷ったけどリスの言うとおりにすることにした。

今までずっとこのカシの木を見てきたけど登ったことはなかった。
足をかけられるでっぱりを見つけ、足をかける。
リスが、「次はそこに右手をかけて左足をもうちょっと上へ」と言いながらみちびいてくれる。
そうしてあかねは少しずつ上へ登っていった。
リスはさらに上へ登り「もうちょっと上へおいで」と言う。
あかねはリスにみちびかれ、また上へと登っていった。

ふと上を見るとリスの姿が見えなくなった。
「ちょっとリスさん、どこ行ったの?」
「こっちだよ」
あかねは声のする方に登って行った。
ある高さにきた時、あかねの目の前に不思議な光景があらわれた。
じゅうたんがひかれ、そこにテーブルと椅子がおいてある。
椅子の背もたれにリスが立っていて「さあここへ来て」と言う。

あかねはこわごわじゅうたんに片足をのせてみた。
不思議なことに床の上のようにしっかりしている。
近くの枝につかまりながら、もう片方の足ものせてみる。
じゅうたんはびくともしない。
まるでじゅうたんの下にはしっかりした木の床があるようだ。
あかねはテーブルと椅子のところまでやってきた。

「さあ座って」 あかねは椅子にすわった。
木の椅子は傾いたりしなかった。
「ちょっと待っててね」
リスはそう言うと葉っぱと葉っぱの間に入っていった。
そしてしばらくするとおぼんを頭にのせ帰ってきた。
おぼんにはティーカップがのっている。
「さあどうぞ」
リスはそう言っておぼんをあかねの前のテーブルに置いた。

「これは何?」
「いいから飲んでごらん。おいしいよ」
そう言われ、あかねはあたたかいその飲み物を飲んだ。
「おいしい。紅茶みたい」
「そう。これは紅茶みたいな飲み物っていう飲み物だよ」
「ふうん・・・ところであなたは誰? どうしてしゃべれるの?」
「どうしてと言われても、しゃべれるんだよ。
でもね、この木が好きな人じゃないとぼくとしゃべることはできないよ」

「ふうん。じゃあ私は合格ね」
「もちろん」
あかねはリスとしばらくおしゃべりをしたあと、
「もう帰らなくっちゃ。 おかあさんが心配するから」と言った。
「そりゃそうだ。早くお帰り」
「また来てもいい?」
「うん。またぼくがおりて行った時にきみがいれば招待するよ」
あかねはリスにみちびかれ、下におりていった。

あかねは毎日のようにカシの木の近くを通るのでそのたびに木に近寄り上を見上げた。
三日後リスはおりてきていた。
あかねはうれしくなった。
そしてこの間と同じようにカシの木の上へ登っていった。
そして、またあの不思議な空間で椅子に座り、おいしい紅茶みたいな飲み物をごちそうになった。
あかねはおもいきってリスに聞いてみた。
「ねえ、木の神様って知ってる?」

「木の神様?」
「うん。このあいだおばあさんがそう言ってたの。
木の神様に守られてこのカシの木は千年以上も生きているって」
「確かにこのカシの木は千年以上生きているよ」
「あなたは木の神様の友達かなって思ったの」
「ふうん。光栄だな。そう思っていてくれていいよ。へへ」
結局よくわからなかった。
あかねはリスにおれいを言うとカシの木からおりていった。

ある日の午後、またカシの木の上であかねは飲み物をごちそうになっていた。
リスはあかねの学校や家族の話などに耳をかたむけていた。
話に夢中になっている間に時間はどんどん過ぎていき、気がつくと葉っぱのすきまからオレンジ色の光がさしこんできていた。

あかねは話すのをやめ、オレンジ色の光にみとれた。
なんてきれいなんだろう。
あかねは向こうを見ようと近くの枝をすこし手でよけた。
オレンジ色の太陽が遠くの山の上に見えた。
町の景色がオレンジ色に染まっている。
あかねはこの美しい光景からしばらく目をはなすことができなかった。
リスは何も言わずあかねのそばでじっとしていた。

それからあかねは中学生になるまで、ときたまカシの木に招待された。
そして、運がよければ、オレンジ色の太陽と、オレンジ色に照らされる町を見ることができた。
あかねは中学生になった。
クラブ活動や習い事でいそがしくなり、カシの木の下で、立ち止まることも少なくなってきた。

以前のように幹に身をよせて耳をすませたり上を見上げて木もれびに見とれたりすることもなくなった。
神様の友だちのリスにも会わなくなった。
そうしてどんどん月日がながれていった。
あかねは高校生になった。
仲良かった友だちとはなれ、新しいクラスになじめないまま一ヶ月が過ぎた。
ある日、あかねは学校でとても辛いことがあった。

誰にも言えずふさいだ気持ちで帰るとちゅう、久しぶりにカシの木の下で立ち止まった。
上を見上げた。長い間そうすることを忘れていた気がする。
もしかしたらリスが会いに来てくれるかも。
少し期待した。しばらく待ったが、やっぱり来ない。
あかねは登ろうと思った。仲良かったもん、勝手に登っても怒らないよね。
心の中でリスに話しかけた。そして登り始めた。

久しぶりで体も重たくなった。
落ちないようしんちょうに手と足をかける場所を選んだ。
確か、あそこの太い枝のところだ。
やっとめざす枝のところまできた。
でもそこにはじゅうたんもテーブルも椅子もなかった。
寂しさがこみあげた。
私はたしかにここで紅茶みたいな飲み物を飲んだのに。
あれはいったい何だったんだろう? 夢だったんだろうか?
もう一度、子どもの私にもどってみたい。
いろいろな思いが頭をめぐる。

あかねは幹にもたれ、目を閉じた。
ざわざわと風にゆれる葉っぱの音が聞こえる。大好きな音。
どうして、長い間、忘れてしまっていたんだろう。
ずっとこのままここにいたい、そんな気持ちになった。
どれくらい時間がたっただろうか、閉じた目の向こうが明るくなった感じがして、目をあけた。

オレンジ色の光が葉っぱの間からもれている。
あっ。あかねの頭にあの光景がよみがえった。
そして近くの枝をそっと手でよけた。
あの頃見たのとそっくりのオレンジ色の太陽が町をオレンジ色に照らしていた。

あかねは胸がしめつけられるような感じがしてなにかがこみあげてきた。
オレンジがにじんだ。悲しくて泣いてるのではないよ。
なつかしくて、切ないんだ。
そしてこう思った。
きっと木の神様はいるんだ。
あかねはカシの木の上で何かにあたたかく包まれながら、気持ちがなごんでいくのがわかった。

あれ以来、あかねはカシの木にのぼることはなかった。
姿をあらわさなかったリスにもさよならを告げてきた。
だけどあかねにとってカシの木は、子どものころよりもっと大きな存在になった。
きっと遠く離れても忘れることはない。
目をつぶればいつでも思い出せる。
風にゆれる葉っぱのざわめきとオレンジ色に輝く町を。
そして子どもの時出会った神様の友だちのリスと紅茶みたいな飲み物の味もきっと忘れずにいよう。
あかねはそう思った。