インド料理店にて

用事が済んだときには、もう外は薄暗かった。これからにぎわうであろうこの通りでは、あちらこちらの店で灯りがともり始めている。
おなかすいたなあ。ぼくは何か食べてから帰ることにした。何を食べよう?

そのあたりはよく知らない場所だったので、店の看板や雰囲気を見ながら、どこへ入るか考えた。 ふと、細い路地をのぞくとエスニック風の看板が見えた。何の店かなと路地を入って行くと、インド料理の店だ。ちょうどその時は、そういう料理を食べたい気分だったからそこに決めた。

扉を押して中へ入ると、狭い店内には誰もいなかった。テーブルが4つ。それぞれにキャンドルが置いてあり、火が灯してある。誰もいないのは、時間が早すぎたせいか、はやってないのか、と考えていると、奥からコックが出てきた。

そして笑顔で言った。
「どうぞ、お好きなところへお座りください」
ぼくは、手前から2番目のテーブルを選んだ。コックは奥へ入っていった。 一人でやっているのだろうか? すぐにメニューを持ってやってきた。

メニューをぼくに渡しながら、男は言った。
「実は、今日だけの、スペシャルなメニューがあるのです」
「スペシャル?」
「はい、今日は私の娘の誕生日なのです。だから、特別なメニューを用意しているのです」
「へえー、それはおめでとう。娘さんっていくつですか?」
コックは表情を緩めた。

「今、4歳です。すごくかわいい頃です。インドに母親といます」
「4歳か…それはかわいいでしょう」
どういう事情かはわからないが、愛しい娘と離れて暮らしているのは寂しいだろう。 ぼくは、是非そのスペシャルメニューを食べたいと言った。コックは「かしこまりました」とうれしそうに言い、奥へ入っていった。

最初にスープとサラダが運ばれ、次にナンとサモサが出てきた。そして、タンドリーチキン、カレー2種類、ヨーグルト。 香辛料のにおいが食欲をそそる。だが、どのへんがスペシャルなのか? インド料理の店では、スタンダードなものばかりだ。ぼくは、とにかく食べ始めた。スペシャルの件は、あとで聞いてみよう。味は、まあまあだ。うん。いける。

食べはじめてどれくらいたっただろうか、他の客は来ないし、コックも中から出てこない。フォークとスプーンが食器にあたる音ばかりが耳につく。ほとんど食べ終えて、おなかが満たされたころ、コックがチャイを運んできた。

「あの、このディナーってスペシャルですよね?」
ぼくは訊いた。
「はい、そうです」
「どのへんが・・・」と言っている途中で、信じられないものが目に映った。お皿とお皿の間に、小さな小さな女の子がいる。赤いワンピースを着て、笑いながら手を振っている。
「えっ?これは?」
「娘のマリアです」
「どういうこと?」

「私は今日、娘が4歳の誕生日を迎えられたことに感謝しながら料理しました。そしてあなたはいっしょに祝ってくれました。それが遠くにいる娘にも伝わったのです。だからお礼の気持ちを伝えてきたのです」
「そんなことがあるんですか...」
「ちょっぴり魔法の香辛料が入ってますけどね」
コックはさも愉快そうに微笑んだ。